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渡内の寺社

渡内地区にある寺社を紹介します
渡内日枝神社(渡内三丁目)

渡内日枝神社は、土地区画整理事業によって造成工事が行われたのに合わせ、増改築が行われました。

​増改築前の日枝神社

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​増改築(平成21年8月)後の日枝神社

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平成22(2010)年元旦を待つ

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 日枝神社は、延長元年(923年)平良文が村岡郷に居住するにあたり、屋敷の守護神として日枝大神(大山咋神:おおやまくいのかみ)を祀ったことに始まります。

 応永27年(1420年)、福原左衛門平忠次によって社殿を現在地に遷し、その際に良文を合祀したと言われています。

 石段右側には、宅地造成によって移された庚申塔や道祖神塔が一列に並び、鎌倉古道の道標(弘化三年銘:1846年)や、めずらしい「幸神」と彫られた道祖神塔(文政八年銘:1825年)も見られます。

二伝寺(渡内三丁目)

二伝寺は、浄土宗の寺で、藤沢市で標高が最も高い地点(73.5m)にあります。

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墓地の奥には平良文(村岡五郎)とその子忠光、孫の忠通の塚があります。

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門前の案内板

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法山 宝国院 二傳寺

 当寺は戦国時代の永正二(一五○五)年、玉縄城主北条氏時の発願によって開山された寺です。開山にあたっては福原左衛門忠重の援助がありました。

 当時は玉縄城から尾根つづきで地域で一番高い場所にあり、加えて旧鎌倉街道に沿っていたので、玉縄城の砦の役割を担うために寺を創建し利用したと考えられます。

 開山当時、寺号は違うものでしたが、大本山光明寺に伝わる本山伝の伝書が紛失した時に、当寺に本山伝の写し(二つ目の伝書)があったので二伝寺と呼ばれるようになったと伝えられています。

天嶽院(渡内一丁目)
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 天嶽院の草創は、不動院と称し、真言密教の古寺にして不動明王を安置していました。頼朝の鎌倉入りの際、頼朝がこの不動明王に、大願成就の祈願した、という言い伝えが残されています。

 明応四年(1495年)に密教を改め、曹洞宗の禅寺として開創。これは玉縄城主北条綱成が北条早雲の菩提を弔うためでした。天正十九年(1591年)には徳川家康から三十石の朱印地を賜りました。

 山門を入った左側には、安永三年(1774年)の銘を持つ梵鐘があります。

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 渡内区画整理事業の施行に伴い、1975年、1980年に、渡内天岳院下(現在の渡内一丁目)で行われた発掘調査で、ほぼ一頭分のナウマンゾウの化石が発見されました。

慈眼寺(じげんじ:渡内五丁目)

慈眼寺の玄関

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慈眼寺本堂

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慈眼寺の混生樹

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 無量山慈眼寺は、天文二年(1533年)ころ玉縄城主北条綱成が開創したといわれています。 

 山門前の階段脇に、文政四年(1821年)に建立された「鎌倉札所第三十三番」の石柱があります。

 本尊の木造十一面観音菩薩立像は、鎌倉時代末期から室町時代の造立で、市指定の重要文化財です。本堂正面右手に吊るされている梵鐘は、寛永六年(1629年)の銘を持つ古鐘で、もと金亀山江島寺(廃寺)のものでした。

 境内には、モチノキ・タブノキ・シイノギが、その根を互いに密着し、あたかも一本の木のように見える、大変珍しい市指定の天然記念物の混生樹があります。

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